IDTBは文字通り「人」へのTB
まとめ
IDトラックバックは文字通り「人」へのトラックバックである。
その意味は通常、その人の特定記事の内容ではなく、その人物の普段の言動・性格・人柄・blog外での会話内容など、blog記事から見ればメタな内容への言及ないし関連である。
blog記事からこのメタ情報にTBを送信する方法はなく、個人の特性をweb上で最も強く反映するのがblogであると考えられるため、IDトラックバックはblog世界から欠落した情報を埋めるTBとして比較的適切な方法ではないかと思われる。
はてなダイアリーには、id:daresoreと書くと、daresoreさんのはてなダイアリーにリファラというか言及通知が表示されるようになっている。これは「関連仲間文化圏」的な使い方ができるし、実際、私も「記事」ではなく「人」に呼びかけるつもりのときはこれを使う。
しかし、これが気持ち悪くないのは、相互リンクができているからだ。id:daresoreと書いたとき、こちらからd.hatena.ne.jp/daresore/のページへのリンクができているし、相手の方もid言及を受けたというリンクができているわけだから、問題があるとは感じないのである。
「関連仲間文化圏」に限らず、モヒカン(言及リンク文化圏)も他人のIDにトラックバックすることは十分考えられる。
例えば「id:hogehogeが日ごろから主張するように〜」や、「某オフ会でid:hogehogeに遭遇」などという場合である。相手への言及がある以上相手にその事実を通知すべきだし、自サイトの訪問者へも相手がどのような人物であるかの情報を提供する必要がある。
人が他の人に語りかけるときは、相手の価値を何らかの基準で認めているという事である(好きでも嫌いでもない相手には言及しない)。
だから、blogのトップがその「人」を示すもの、という暗黙の前提に立つのならば、このシステムは「人」の価値評価機構として適切に機能する。
そもそも「人」に言及するのは、発言者より発言内容を重視するモヒカンらしからぬ行動だが、モヒカンとは議論におけるスタンスの取り方であって必ずしも個人の属性ではないし、いいんじゃね?(投槍)
TB論争に見るモヒカンの原理主義性
ムラ社会は、基本的にムラの外に興味を示さないため、自分達の文化圏を守れればそれで良い。
モヒカン族は、基本的に原理主義者なので、自分達の考える理想のwebのあり方からはみだす文化圏の存在自体が苦痛であり容認できない。ムラの中も「文明化」したいと考える(モヒカン族が否定しているのは、自分達への無言及TBではなく、全ての場所での無言及TBである)。
従って、「お互いの価値観を認め合って不干渉で…」というのは、モヒカンにとっては何の解決にもなっていない。
このような、ムラ社会の「文明化」をしようとする原理主義者の攻撃、という構図は多くのムラ-モヒカン論争に共通の本質である。
システムの構造自体をを問題にしているからこそ、ハンドアックスはモヒカン居留地を越えてムラにまで飛んでいくのである。
モヒカン族とPagerank
- モヒカン族はアクセス数を気にしないため、自サイトのアクセス数やPagerankの高低は気にしない。
- 「アクセス数を気にする」という行為自体、他人の目を気にする、社会的地位を気にするという意味でムラ的である。
- ただしgoogle八分と呼ばれるような事実上の言論封殺状態に至る場合はこの限りではない。
- しかし、「ページの質を評価するPagerankシステム」というシステムの原理は自身(そして全てのweb住人)の情報収集効率のために守ろうとする。
- モヒカン族にとって重要なのは「良いサイトが高いPagerankを確保する事」であり、自サイトのPagerankに興味はない。
- だから、仮に無言及TBがモヒカンサイト(言及TB原理主義サイト)のPagerankを無意味に上げるシステムだったとしても、モヒカンは否定するだろう。
- http://d.hatena.ne.jp/zonia/20060107の「感想読了&トラックバックリストをつくる」というのはモヒカン的には完全解決にはならない。
- 何故なら、そのTB関係は実際の言及構造を反映したものではないからである。
- Pagerankの補正という意味では一方的にTB送信するよりはマシなのでムラ内での合意は取れるだろうし、落とし所としては悪くないと思います。