TB論争に見るモヒカンの原理主義性

ムラ社会は、基本的にムラの外に興味を示さないため、自分達の文化圏を守れればそれで良い。
モヒカン族は、基本的に原理主義者なので、自分達の考える理想のwebのあり方からはみだす文化圏の存在自体が苦痛であり容認できない。ムラの中も「文明化」したいと考える(モヒカン族が否定しているのは、自分達への無言及TBではなく、全ての場所での無言及TBである)。
従って、「お互いの価値観を認め合って不干渉で…」というのは、モヒカンにとっては何の解決にもなっていない。
このような、ムラ社会の「文明化」をしようとする原理主義者の攻撃、という構図は多くのムラ-モヒカン論争に共通の本質である。
システムの構造自体をを問題にしているからこそ、ハンドアックスモヒカン居留地を越えてムラにまで飛んでいくのである。

追記

  • ムラは定住権で争うべきであり、土地の所有権で争ってはいけない。
    • ムラが築かれているblogという土壌、wwwという土地は、セマンティックとなるようにモヒカンが整地した土地である。
    • 従って土地の所有権はモヒカンに帰属するというか、そこに住むものはモヒカンたる事が元来要求されていたはずである。原理主義的には。