未来のメディアの書字方向

「電子メディアは縦横に縛られない」の続き。
http://d.hatena.ne.jp/fukken/20060104
あたりでこっそり議論していた内容だが、関連が多少見えてきたので掲載。
そもそも「文章」というのが情報伝達メディアとしてどうなんだという話。

人の記憶・思考はネットワークのような構造

人の記憶というのは(つまり、知識もだが)、脳の中では何かと何かを関連付ける事で形成されている。全ての情報は脳というHDDに格納されていて、「記憶する」というのは、実は思い出せるように他の情報と覚えたい情報を関連付ける作業である。だから、語呂合わせで、元素記号みたいにバラバラな記憶を1繋がりにすると言うのは認知科学的に覚えやすいという合理的根拠があるし、単語は文章で覚えろ、という某単語集の方針も正しい。
人が議論をしたり何かを説明したりするときも、脳の中にある「知識のイメージ」は多分、文章の形を取ってはいないだろう。ある主張と、それを支える理由群、その根拠群がピラミッドのように詰み上がるか、あるいは蜘蛛の巣のように互いにリンクしているようなイメージを持つ人が多いと思う。
議論をする、あるいは人に物を教えるのに必要なのは、この論理構造を相手に伝える事に他ならない。文章を書く/説明するテクニックというのは、この構造を上手く線形に並べ、相手に同じ形に組み立てさせるテクニックである。

電子メディアに順序は無い

電子メディアは横書きである事が多いが、これには実は必然性は無い。電子データそのものに記述方向があるわけではないので、縦だろうと横だろうと好きな順序で並べる事が可能である。

好きな順序で並べる事が出来る、と書いたが、電子データでは実は「並べる」必要すら無い。
例えば、webサイトを本、1つのHTML文書をページに例えるのなら、この「本」のページはどの方向にも並んでいない。論理構造としてのつながり=linkがあるだけだ。ページを論理構造だけが意味のある形態におけるのなら、段落や文単位でも同じ事が出来るのではないか。意味の構成単位ごとにバラバラのパーツにして、それを論理のつながりと同じ繋ぎ方で繋ぎ変えて相手に見せる事が出来れば、線形に組み立てそれを崩す -つまり、文章を書いてそれを読む- という不確実で非効率的な段階を踏む必要がなくなる。
この論理構造情報を持たせたデータを用意し、「目次」のような形で全体の構造を見ながら必要な部分を見られるようにしたメディア、というのが考えられるだろう。

論理構造を示すメディア

以下、文章という線形構造にとらわれないメディアの実例を示す。
以前触れたように、Trackbackシステムというのは、この論理構造を示すためのシステムである。情報の分割単位は比較的大きいが、論文の参照関係のように、文章と文章の間の論理構造を示すシステムである。
wikiもまた、情報の構造化を行なうメディアである。Trackbackよりも一段階細かく、順序に縛られない形で、本で言う「章」「段落」単位くらいの粒度で情報を切り分けて保存してある。構造化してあるかは書く人に拠るが。
wemaというwikiは、付箋を好きな場所に貼り付けることが出来る。線の引き方、付箋の大きさという制約はあるが、情報を「文」単位くらいまで分割して構造化する事が可能である。内部データもこういう形態だったら凄いんだが、実際どうなのかは知らない。
Mindmapというノート術は、思考が放射状(ピラミッドを全方位に組めば放射型になるよね)に並んでいる事に基づき、文や単語を放射状に並べる事を第一の特徴とする。紙に書いたマインドマップは編集性に難があるが、Freemindなどのソフトを使って電子化すればこの難点を打開できる*1

*1:電子版マインドマップには、作成時に記憶形成に重要な「手での作業」が介在しないという欠点があるので一長一短。その辺は専門書籍を参照