創発性とweb2.0とどうぶつの森

http://d.hatena.ne.jp/ConquestArrow/20051225/1135458500
周辺を読んで。

以下の記事の概要

ゲームに創発性を持たせる事は新しい概念ではない。
web2.0創発性を持つ。
創発性の源泉をユーザに求めて初めてweb2.0と言える。
どうぶつの森の楽しさは、住人が相互に関係する事で創発性を持つ事と、ネットワークを介して他のユーザと関われる事のふたつ。後者はweb2.0的というよりもむしろblog的SNS的であるという表現を使った方が良い。
SNSやblogがweb2.0足りうる要素をぶつ森は持っていないから、ぶつ森web2.0的ではない。

どうぶつの森創発性+α

ゲームの例で、創発性といえば、例えば20か30かそこら(数字は適当)の簡単なルールの組み合わせで成り立ってるSimSityの市民が実際に生きてるかのごとく振舞う事なんかを指します。個としては単純な要素の組み合わせが、無限であるかのごとく複雑なパターンを生むのが創発です。
どうぶつの森のAIもやっぱり単純なルールの連続(住人同士の相互作用を含む)で生きているように活動しているわけで、彼らもやはり創発性の産物です。AIどうしの相互作用を売りにしてるゲームのほかの例には、ワールドネバーランドシリーズなんかもありますね。
ネットワーク機能を排除しても、ぶつ森創発性を持つ、創発的なシステムなわけです。というか、プレイヤー自体を排除しても、住人達は互いに干渉しあって社会生活らしきものを育むだろうから、やっぱり創発性は失われません。
つまり、そこに人と関わり合うという要素が加わったどうぶつの森DSを語るには、「創発性」だけでは言葉足らずなわけです。

web2.0の持つ創発

みんなが好き勝手にダウンロードしてるだけなのに、ユーザをいつの間にかジャンルごとに分けちゃう(クラスタ化)Winnyweb2.0的です。構成要素自身が勝手にグルーピングされていくのを自己組織化と言いますが、これも創発性の一種です。
みんなが買い物してるだけなのに、そのログのユーザごとの共通性を探すだけで「関連商品」を提示してくるamazonなんかも創発性を持つシステムです。amazon創発性を持つというより、買い物ログをまとめるだけでそこには創発性が生まれ、amazonはそれを抽出するシステムである、という方が近いけど。
web2.0に人と人、人と物の結びつきを利用したシステムが多いのは別に偶然ではなく、そういう「ネットワーク」は極めて創発性を生みやすいからです。googlePageRankは、webサイトのリンクというネットワークが自己組織化し、「良い」サイトが上位に来る性質を利用したものです。

創発性とweb2.0の差異

ここで、Winny開発者もamazon運営者もgoogleの中の人も、ネットワークの要素(つまりユーザ)をデザインしたわけではない、という所に注目。彼らは、創発性を持つであろうネットワークを想像し、その構造を抽出し上手く利用するシステムを組んだだけです。
Winnyは作っただろうっていう突っ込みが来そうなんで先に潰しておくと、47氏が作ったのはネットワークに参加するインターフェイスであって、DLするファイルを選ぶユーザの嗜好まで作ったわけではありません。ファイル共有の仕組みを作るとユーザが自己組織化する事に目をつけ、それを有効利用するシステムを組んだわけです)
SimSityは市民のAIを作り、ぶつ森では住人個人個人がAIを持っているわけですが、web2.0的システムはそのAIの担当する部分をユーザにやってもらってるわけです。SimSityがweb2.0的で無い事から分かるように、創発性を持つ=web2.0ではありません。「個人を構成要素とした創発性を持つシステムに関係すること」がweb2.0たる1条件なんだと思います*1
仮にこの仮定を認めるのなら、どうぶつの森スタンドアロンで遊ぶとき、その面白さをweb2.0的と表現するのはおかしいわけです。ぶつ森のやってる事はSimSityの延長に過ぎない。

ぶつ森が楽しいのは、そこに友達がいるから

どうぶつの森DSをスタンドアロンで遊ぶのではなく、ネットワークに繋いだときに始めて生まれる面白さとは何でしょうか?そこに「他人」がいる事が楽しいわけです。別にユーザがネットワークで繋がっていたり、ユーザ同士が新たな価値を創発する必要も無く、単に人がいるってだけで楽しい。この面白さはファミコンの時代から任天堂が拘ってきた、人の顔の見える楽しさであり、血の通ったコミュニケーションの楽しさであり、2コンを握ってる奴がそこにいる楽しさです。
O'Reillyがユーザ参加型である事をweb2.0の条件として挙げましたが*2、そこで触れられているのはユーザに物を作らせてそれを構成要素とする事であり、コミュニケーションについて触れているわけではありません。実際、ぶつ森的なコミュニケーションの楽しさを活かしたweb2.0ってmixiとかblogのような顔の見えるサービスだけですし。そもそも、概念の大きさはweb2.0>blog/SNSなんだから、blog的とかSNS的と表現できるなら、より曖昧なweb2.0なんて単語を使う意味は無いと思います。

blog/SNSはなぜweb2.0か、ぶつ森web2.0

blogは多数の末端ユーザによって記事が書かれ、また記事同士で言及しあう事によってより価値の高い情報を生み出すのがweb2.0的な部分です。
SNSは、ユーザが内部でネットワークを形成し、参加するのが楽しい→参加する→もっと楽しくなる、という規模拡大の流れが自然発生するのがweb2.0的な部分です。
顔の見えるコミュニケーションは両者の必須要素ですが、顔の見えるコミュニケーションの存在が両者をweb2.0たらしめているわけではありません。
ぶつ森は、web2.0たる要素とは違う部分でblogやSNSと似ているわけで、web2.0的とは言えないと思います。