ニコニコ動画の見るCGMの未来

ライブ事業戦略発表会も出たところで、会議直後に書いて、公開を控えていた記事をちょっと加筆・修正して公開するよ。

はじめに

ニコニコ大会議の生放送を見ながら、記者の人たちは「記者発表と言われて来てみたのだが、ユーザー同士で楽しんでいるイベントにしか見えない、これのどこが『記者発表』なのか、ドワンゴは記者を馬鹿にしているのか」とか思っているのだろうなぁ、と思っていた。確認していないが、そんな認識のまま帰ったライターの方もいたのではないかと思う。一月ほど経過し*1、一時の熱狂も落ち着いてきたので、私の目から見た「ニコニコ大会議とは何だったのか」「運営は何を考えているのか」を書こうと思う。

kawango曰く…なんて言った?

というわけで、明日というか今日からのニコニコ大会議全国ツアーファイナルは必見です。これ見ないでネット業界とコンテンツ業界の未来を語る資格はない、と、ほんとそう思います。いや、まじで。

http://twitter.com/kawango/status/9296150591

大会議前日、ドワンゴの川上会長*2によるポスト。大会議では、ネット業界とコンテンツ業界の未来を示す、との予告である。
しかし、実際にはネット業界の未来どころか、ニコニコ動画の戦略すら言及されることはなかった、kawango氏による壮大な釣りではないとすれば、彼の言う「ネット業界とコンテンツ業界の未来」はどこに示されているのだろうか。
私はこう考える。「ネット業界とコンテンツ業界の未来を示す」事は、発表や発言の形では示されていない。ニコニコ大会議というコンテンツ自体が、ネット業界とコンテンツ業界の未来を示している、と。

ニコニコ動画とライブコンテンツ

そもそも、ニコニコ動画は元々「ネット上でユーザー同士がライブのような一体感を感じるサービスを作れないだろうか」と考えて作られたサービスである(経緯はdwangoのサイトなどに詳しい http://info.dwango.co.jp/recruit/story/01_01.html)。

つまり、「なんでニコニコ動画がライブイベントに手を出しているの?」というのは、疑問自体が間違っている。最初からライブはニコニコ動画のゴールのひとつなのだ。ニコニコ動画が最近ニコニコ生放送に注力していることも、この流れを理解していれば自然である。

(余談:私がニコニコ動画に興味を持った最大の要因は、時系列方向への拡張現実としての「疑似同期システム」*3の存在や、疑似同期で「祭」に乗り遅れる事を防ぐ人に優しい仕組みだったので、ライブへの回帰は内心微妙ではあるのだが)

CGMの未来:音楽とは

大会議に出演したメンバーは基本的にみんな素人。歌い手もそうだし、演奏者もユーザーから出ている。彼らは上手いと思うけど、残念ながらプロのクオリティには達していないのだろうと思う。音楽の事はよくわからないけど。
それでも、あの最後の「Smiling」で鳥肌が立たなかった人はいなかったと思う。「歌ってみた」をまったく聞かず、Smilingという曲を耳にするのが初めてだった俺ですら感動したし。会場にいた人はもう何がなんだか分からないうちに泣いていたと思う。
あの楽しさは、多分参加する楽しさで、場を共有する楽しさ。みんなで一体となって音楽を、鑑賞するのではなく「楽しむ」楽しさなんだと思う。
「REMIX」という本( asin:4798119806 )に書いてあったのだけれど、昔の「音楽」文化とはアマチュア文化であり、当人たちが参加する事に重きを置いていたらしい。
放送もレコードも無い時代の音楽は、聴衆と縁者の距離が心理的にも物理的にももっと近くて、演者によってレベルがマチマチで、同じ曲を演奏してもみんなに個性があって、そんな中だからこそ各地にアマチュア演奏家がいて、プロの作る音楽の周辺に文化や創造性が生まれ、新しい音楽文化が花開いていったんだって。
ところが、レコードの登場と、何より放送(ラジオ)の登場によって、この状況が変わる。「本物の」「プロの」レベルの高い音楽が誰にでも届くようになり、アマチュアリズムは廃れた。音楽というのは週末に集まってみんなで歌ったり、街角で生まれたりする物ではなく、ハリウッドで生まれて、電波の向こうのスタジオで一握りのプロが奏でるものを鑑賞する文化になった。
あんまり引っ張っても仕方ないのでこの辺で打ち切ろうか。
レコードが生まれて150年。ラジオが生まれて100年。プロによる作品を「鑑賞」するものだった音楽は ──インターネットの隆盛、ニコニコ動画という場*4の誕生、ツールの普及、リアルタイムな場の共有、もしかするとプロによる音楽シーンの衰退によって── 再び「参加」するものに戻った。
あの「Smiling」で私たちが感じた気持ちは多分、150年前にレコードに封じ込められて、100年前に電波の向こうに隠されてしまった、本来の「音を楽しむ事」が持つ楽しさなんだと思う。
大事な事なのでもう一度言おうか。いま、音楽は、150年ぶりの大革命期を迎えている。その先頭に立つのは、ニコニコ動画という場であり、そこにいるユーザーだ。

Smiling together
Will be together
そんな悲しい顔は似合わないよ
一緒に歌おう

http://dic.nicovideo.jp/v/sm9078182

片岡Pという存在

ライブ事業の仕切り役として登場した片岡P。この人は実はとても特異なポジションにある。ここまで書いたように、ニコニコ動画とは「ネットにライブを持ち込もうとした」プロダクトであり、ドワンゴ/ニワンゴの社員も当然そういう人間ばかりである*5
しかし、片岡Pの出自は演劇であり、ネットは全くの門外漢。一言で言うと人種が違うのだ。彼がしようとしている事は「ライブ(演劇)をネットの世界に持っていく事」であり、つまりドワンゴとはゴールこそ共有しているが、出発地点がまったく逆なのである。
数字周りの認識やゴールイメージも大きく違うと思われるが、その辺の具体的な話には詳しくないのでノーコメントとしておく。軽く一点だけ触れると、例えばチケットの価格。ネットのイベントと考えると高いが、片岡P自体が言っていたように、あのチケットは「演劇としては」破格の安さなのだ。

で、彼にも知己の劇団なんかは当然あるだろうし、興行的にはオーディションなんてやる必要はまったくないはずだ。にも関わらず彼がオーディションを行ないユーザーを巻き込んでいるのは、もしかすると彼もあの「Smiling」同様に、銀幕の向こうに隠されてしまった「演劇の楽しさ」をこちら側に引っ張り出そうとしているんじゃないか、そんな気がする。
それがどの程度困難なものなのかは分からないし、成功の見込みがあって動いているのかも分からないけれど、もしこの予想が正しくて、この試みが成功したら、その時はきっと、こういう事になる──「TVドラマなんてつまらない。映画なんて下らない。芸能人を舞台から引きずり下ろして、自分たちで舞台に立とう。それが一番面白い」。

よく、なぜ大会議なんかやっているのか、どういう狙いなんだと尋ねられるが、なにかのために大会議をやっているんじゃなくて、大会議のために仕事をやっているというのが正しい。ここが終着駅、そして出発点。なぜ、ここから歴史が生まれているということに気づかないのかね?と思う。

http://twitter.com/kawango/status/9296008610

*1:執筆当時ね

*2:公式にはこのtwitterアカウントは謎のネットの妖精であって、会長ではないそうですが

*3:動画の1:00の地点にコメントを書き込むと、1年後に他の人がその動画を見たときも、1:00の位置にコメントが表示される、というニコニコ動画の基礎システム。ライブ性(同期性)を擬似的に再現するから疑似同期なのだろう

*4:勿論、サービスだけではなく、かといってユーザーだけでもなく、みんなひっくるめて。

*5:ちなみにドワンゴ社のキャッチコピーは「ネットで生まれ、ネットでつながる」である。いや、外に出ようよ