「みんなに伝わるfav」としての公式RTと、twitterの今後

twitterで書いてた公式RTについての内容をこっちにもまとめておく。
公式RT機能については、自分で試してみるのがベストだが、以下の記事にもよくまとまっている。Twitter公式の「RT」はみんなが期待しているものと少し違うかもしれない*二十歳街道まっしぐら(FC2ブログ時代)

ワンクリック

twitterの公式RTを使って最初に感じたのは、メチャクチャ気軽で簡単ということ。今までのRTは、公式ページからだと、「発言をコピー>Reをクリック>発言内容を貼り付けて編集>送信」というものだった。ツールの類であっても「RTボタンをクリック>(発言内容を必要に応じて編集)>送信」の最低2ステップが必要だった。
公式RTは「RTボタンを押す」の1アクションで完了する。少し使うとすぐ分かるが、この差は大きい。心理的な障壁が消滅し、バンバンRTしたくなる。

favとの比較

で、ワンクリックで行なえる行動と言えばお気に入り(fav)があるわけだけど。新しい公式RTは、favと同じ操作で行なえる。なので、両者を比較する事で公式RTの姿が見えてくる。
まず、favは公開されるけど、TL上には現れないので、「他人に伝える」という点が弱い。RTの場合、自分の発言と同じ可視範囲でみんなのTLに出現するので、自分がRTした内容を即時みんなに伝える事ができる。これが一点。
次に。RTした記事はそのままTLを流れていってしまう。しかしfavは自分の分だけ見返す事ができるので、自分がfavった記事に関してはあとで見返す事ができる。つまり、RTと違ってfavははてブのようなクリッピング用途に使う事ができる(実際、自分はクリッピング用途にもよく使う)。

公式RTの意図:favとRTの再整理

上記のように、favと対比させて公式RT機能を見ると、twitterのやりたかった事が見えてくる。
つまり、きっとtwitterというサービスが生まれた当初は、favというのは気に入った発言を評価し、他人に広めるための仕組みとして設計された。しかし、favはTLに出現しないので伝播力が弱い。自分が気に入った発言はみんなにも教えたい。そんなわけでRTという文化が生まれた。
で、今回twitterは、

  • 「みんなに伝わるfav」としての公式RT

という位置づけでこの機能を出してきたに違いない。要するに、当初favの機能として意図していたものを、公式RTに移転した。
お気に入りの発言は(favではなく)RTする、という文化が定着すると、twitter上の情報流通が促進され、RTを介して知らない人と繋がっていく流れも加速する。おそらくそれが公式RTの狙いであり、twitterが目指す方向性なのだろう。
お気に入り機能をRTに持っていかれてしまったfavは今後、「フロー情報のストック化」のツールとして位置づけ直される事になると思う。現在のtwitter上で情報をストックする術は他にない。個人的には、そのうちfavは「クリップ」だとかなんとか、情報のストック化という側面を前面に押し出した機能名に解消するのではないか(もしくは、★アイコンがクリップやピン型になるのではないか)と予想している。

リアル脱出ゲーム3「終わらない学級会からの脱出」行ってきた

月曜で最終公演が終わり、情報解禁なはずなので。
初参加。先にネタバレすると脱出には失敗しました。

割とどうでもいい経緯

ゲーム自体はどんな感じよ

  • 会場は廃校をリフォームした「世田谷ものづくり学校」。学校とアートが混ざった面白い空間。
  • 基本は(以下微ネタバレにつきしばらく削除)
  • 私の班は(以下微ネタバレにつきしばらく削除)
  • 難易度はある程度はその場で調整されるが(後述)、難しめ調整が基本のようで、私達の前の数回の公演は全滅だったとの事

感想

  • 入り込めるか不安だったけど、普通に熱中します。この没入感は凄い
  • ルールの把握に時間がかかるか?とか思ったが平気だった
    • 今回のシステムがたまたまそうだったのかもだけど
  • 開幕直後、(略)
  • 一体感楽しい!謎が解けるとみんなで拍手!
  • 多分、次回も行きます

追記:次回公演

情報規制がかかっていたので書かなかったのですが、次回開催が正式発表されたようです。

うわ、会場が予想以上にかっけえ!絶対いく!

懇親会/裏話

  • 今回は懇親会的イベントがあったよ!kusigahamaとともに参加
  • とても利発で可愛い女子中学生とたくさん話せたのでお兄さんは満足です!
    • 母&姉妹(小学生)でご参加されていたようです
    • ちなみに小学生親子連れの参加者は私の参加回にも1組(懇親会には未出席)。結構いるとの事
  • 難易度は展開を見て適宜調整されている(ヒントの出し方、時間など)
    • 今回は5分毎に発生するイベントがあったのだが、「2分30秒とかでやってもみんな気づかないもんですよ」
  • ゲームを裏から観戦できたのだが、「見る」エンターテインメントとしても面白い構成
    • クライマックスシーンはみんな滅茶苦茶盛り上がってた
  • 観戦とか抜きにしても、普通に語っているだけで話がまったく尽きない
  • 普通に面白かったので、次回も懇親会期待

こぼれ話

  • id:pha さんとお会いしました。kusigahamaさんもphaさんも両者とも脱出成功だそうです。おめでとうございます。どうでもいいですね。参加する事にこそ意義があります
  • プロのはてなーid:kiyohero さんもお見かけしました。イケメンでした
  • はてなー率高すぎ
    • 統計的に考えると、開催期間全体では数十人とか百人とかいう規模ではてなーがいたのではないかと思います

関連リンク(見つけたら随時増やすかも)

Haskell勉強中(1)

Haskellのお勉強中。『ふつケル』をだらだら読んでます。最初数十ページ程度読んだ。

  • 再代入が不可能、素敵
  • あれ、これって『リファクタリング』読んでたら行き着く境地じゃね?
  • 関数型って「変数に関数を入れられる」のではなく「型名と関数名が区別できない」というレベルの話なのか
  • 参照透過性は便利そう。俺のコードはFlyweight使いすぎて読みづらい事この上ない
  • Javaは引数を評価してから式を評価する」は目から鱗が半分くらい、「あー、不便だったよね」が半分くらい

「変数を(外部入力以外)一切持たない」「全てを関数呼び出しで行なう」は、『リファクタリング』で行き着く完成形。その延長上と考えればそう難しい話ではなさそう。
ただ、その辺を言語として保障する事が、言語構造上大きな意味を持つ、というのは関心した。同じ呼び出し結果が常に同じ値である事が保障されていれば、その結果は常に一度だけ評価すればいいわけで、つまり全て関数呼び出しにしてもキャッシュできるようなものだから、速度が落ちない、という理屈かな。で、同じ呼び出しが常に同じ値ならば、変数と関数は同一と見なせるし、変数名も不要で「パラメータの違う別の呼び出し」に過ぎないと。
面白いなぁ。
現在の疑問:

  • 名前空間が無いとコードの整理がしにくいような。序盤だからまだ出てきてないだけかな?
  • 「一時的な状態の保存」である変数を捨ててしまって、本当にソフトウェア足りうるのか半信半疑、かつ楽しみ

件名の無いメールと、内容注記の無いYouTubeリンク

を読んで考えた。
携帯メールでは件名は不要。だが、受け手に配慮する思考が欠けている人は実際増えている。ケータイ文化圏に限らず、2ch文化圏や「はてな」でも。

件名は内容=優先度を示す?

メールの件名には、そのメールを今すぐ読むべきか、後回しで良いのか、ごみ箱直行で良いのか、その判断材料を読み手に与える、という重大な役割がある。件名でそれが判断できれば、本文を読む前にサクサクと整理したり削除したりできるわけで。だからこそ、PCメール文化圏では「件名の無いeメールを出す奴は地獄に落ちろ!」と言われるわけだ。タイトルが無いメールが届いた場合、緊急で重大な用件が書いてあるかもしれないから、本文を読まざるを得ない。受け手側に選択の余地は無いわけで、送信者としてはかなり傲慢な態度を取っている、と言える。件名なし=とやかく言わずに今すぐ読みやがれ!って事だから。
しかし、やりとりする人同士が知り合いだとまた少し違ってくる。友達同士の雑談ならば、内容を問わずとりあえず聞いてやるのが友達ってものだ。だから、タイトル=内容は分からなくても、誰からのメールかさえ分かれば、メールを読むべきかどうかは判断できる。従って、主に雑談に使われる携帯メールには、件名は不要という事になる。
携帯メール以外だと、mixiなんかの日記もそうだ。あれも「誰の日記か」が重要であって、日記のタイトル・内容はどうでも良い、というタイプの使い方をされている。だから、タイトルが適当な人が多いし、それで十分コミュニケーションが成立する。

リンク先の内容も説明しない

で、この「件名の無いeメール」で思い出したのが、内容を書かないリンク。例えば

これ超面白い!
http://www.youtube.com/watch?v=esivn_GNH9g

とか。ブログとか掲示板で特によく見かける。
これも、開いてみるまでは内容がさっぱり分からない、という意味で件名の無いeメールに共通したものがある。eメールには件名を書くって人でも、結構こういう風に書くんじゃないかと思う。だから、別に受け手に配慮しないのはケータイ文化圏に限った話ではない。
勿論、タイトルが先にバレちゃったらつまらない場合とかはこういう書き方になるのも仕方ないし、リンク張る度にいちいち説明してたらやり取りのテンポが悪くなる、というのも理解できる。場合によってはこういう書き方の方が良い場合もあるだろう。
そうは思うんだが、そこら中でこういうリンクの張り方がされまくっているのを見ると、受け手の都合を軽視しすぎの、自分勝手な人が増えてるんじゃないか?と感じなくはない。「こういう書き方をする人って、コレに対して苛立った事は無いのだろうか?」と常々疑問に思っているのだが…

結論

内容を問わずとりあえず聞いてもらえるようなヌルいコミュニケーションに慣れた人間が、友達以外にも同じ前提でコミュニケーションしてしまう、という傾向。この傾向はメールのやり取りだけでなく、ブログなどでのURLの紹介などにも顕れる。
仕事で初めてメールに触れたオッサン世代と違い、今の若者は友達と携帯メールをやり取りするところから入っている。メールの使用がより身近で日常的なものだからこそ、問い合わせなどでメールを使うときにもつい友達モードで送ってしまうのでは、と考えられる。
話を聞いてもらうまでの段階で苦労した経験が多々あるであろう現役社会人が、このような姿勢を「甘えてる」と評価するのは分からなくも無い。一方で、「若者は甘えすぎ!」というのは遥か昔から洋の東西を問わず言われてる事のような気もするので、時代の問題なのかは微妙なところ。
オヤジやオバハンにも同様の傾向がある?オヤジやオバハンは果てしなく自己中心的なバカばっかりだし仕方ないんじゃない?ジコチューは世代を問わず増えている、という話もよく聞くし。

書かなかったこと

以下、主題がボケるので割愛した話。
携帯メールに件名を書かないのには、届いたら内容が何だろうと即チェック、という使い方をされる携帯電話の特性なんかも影響してると思う。が、本文中でも書いたように、タイトル割愛はmixiとかでも見られる傾向なので、この辺の話はとりあえず除外した。
「タイトルで内容が判断できるようにすべきか?」という話を突き詰めて考えると、ブログの作法論みたいに「じゃあ先頭のほうに要約をつけておくべきだよね?」みたいな話になっていって際限がなさそうなので、とりあえず「そうあるべき」という事にして打ち切った。
メール1本で情報を全て伝達すべき、と考えるのはやや古い考えかも。今の若者にとってメールは文書/手紙ではなく口語に近いものなのかもしれない。だから、会話において言葉をやり取りするみたいに、何回かメールをやり取りして用件が伝わればオッケーであって、一通のメールで全部を伝達する気は最初から無いのかもしれない。

本州人類は衰退しました

実は偶然ではなく必然。何度も繰り返したら、6割くらいは北海道王国勝利に終わると思う。残り4割は四国・九州連合の勝利。
以下、動画のネタバレを含むため、視聴後の閲覧を推奨。

接触面積

まず、東本州と西本州は、両サイドとの接触がある、という面で明らかに不利。確かに短期的に見れば有利でも不利でもない。けど、負けない事が何より重要なゲームでは、接触面積が大きいエリアは、長いスパンで見ると安定性を失う分不利になる。その点で、北海道は他国との接触面積が最低なのでもっとも有利な立場にあると言える。実際、北海道は期間通して殆ど進行されていないし、運悪く入ってきても札幌以南で侵攻を食い止めることに成功している。海峡と細長い半島があるから攻め込まれても安定させられるわけだ。
この面で面白いのが、九州・四国と西本州の攻防。四国側と九州側、両方から包囲する形になった直後、九州・四国連合が圧倒的優位を取っている。
ちなみに、戦闘可能な前線の量を低めに制限すると、本州勢はもっと不利になる。

包囲の有無

通常ならば、敵軍を包囲してしまえば戦闘は圧倒的に有利になるのだが、どうもこのプログラムではそれを実装していない、もしくはその効果が弱い。現実には、1マスの周囲に自軍5、敵軍3といたら、中央マスでの勝率比は5:3では済まない。セルラーオートマトンの実装的な面で見ると、ルールが少し単純すぎる可能性が高い。
結果、本州付近での戦況がかなりカオスな事になっている。前述のように、戦闘は少ない方が安定する。各色の点が半々のエリアは、いつどっちに一気に塗り変わるか分からず、非常に不安定である。これは特に東本州と西本州に不利に働いた。
終盤、東西本州の争いの隙を突くように九州が一気に戦力を伸ばしているが、これも包囲効果が甘かったため。もう少しきつめに利いていれば、東本州と西本州の戦闘が「泥沼化」する事は無かったはずで、九州・四国があそこまで一気に戦力を伸ばす事は無かった。このシミュレーションのハイライトのひとつかもしれない。

銃後の守り

シミュレーション終盤、九州・四国v.s.北海道の構図になった時点での総領土面積比は、数え上げるまでもなく九州有利。なのだが、それが戦闘結果に反映されない。この辺は、近傍情報だけで戦闘結果を算出し、近傍マス以外の自軍がいくらいようと関係ない、という、シミュレーションの仕様による所が大きい*1。この結果、2勢力のみの争いになった時点で条件が殆どイーブンになる(実際には最初に述べたように、地形の分北海道有利。運良く本州側に侵攻できた時点で、北海道は一気に領土を広げられる)。
ここに、戦闘を行なっていない自戦力マスの分だけ戦闘しているマスでは有利になる、総領土面積比を勝率に掛け算する、みたいなルーチンが入っていたら、逆転はありえなかったと思う。ちなみに、これが強めに利くようにすると、素早く領土を広げられる本州勢に勝つ目が出てくるかもしれない。

総論

いろいろ書いているが、実行結果を見る前には考えつきにくい要素も結構混じっている。
比較的実装が単純なセルラーオートマトンは、ややこしい条件下でもとりあえず単純な形で実行してみて、どの辺の要素が決定的にはたらくかを見る(&それを修正して再度実行する)のに向いている。些細な条件の差が予想しにくい形で最終結果に大きく絡んでくる、というのは、こうした手法の醍醐味でもある。
というか、自分のプログラムが「一生懸命頑張ってる」とか、「自分の手を離れていく」という感覚は、個人的にはプログラミングをしていて一番好きな瞬間。予想可能な結果を出力するプログラムが書けるようになったら、こういうセルラーオートマトンや、エージェント型などの予測不可能なシミュレーションを作ってみると面白いと思う。

*1:ローカル情報を重視するというのは、セルラーオートマトンという手法の一番の特徴とも言えるので、ある意味持ち味なんだが

何故魔王は勇者に勝てないのか

ひとつのファンタジー世界を考えよう。そこには魔物と呼ばれる種族と、人間と呼ばれる種族が暮らしている。
で、両者の人口増加に伴い世界も手狭になってきたし、なんか外見的にもムカつくのでちょっとあいつら滅ぼさね?という世論が奴らの中で高まってくるわけだ。各地で種族間戦争が発生し、里の多くが焼かれて奴らの支配地域となる。
で、そんな大ピンチの中、相手の王様を倒しちまえば一発逆転で勝つる!と考えた血気盛んな若者が修行の旅に出るわけだ。多くはさっさと敵の尖兵に殺されるが、運良く生まれ故郷の周りに弱っちい相手しかいなかった、強い奴に目をつけられなかった等の幸運が重なり、順調に成長を続ける奴が出てくる。
で、成長した若者はめでたくラダトームの王様を殺し、世界は魔物のものとなりました。めでたしめでたし。
勇者ロト?メルキドの辺りじゃね?

まとめ

  • 魔物は人間を滅ぼそうとするが、同様に人間も魔物を滅ぼそうとしている、つまり構図は対称
  • 同様に、図式は勇者vs魔王ではなく、魔王+魔物側の勇者(候補生群)vs人間側の勇者(候補生群)+王様である
    • 双方の勇者(候補生群)は力を蓄えつつ、敵勢力の王の撃破を試みる、つまりオフェンス
    • 王は内政を行い、ディフェンス及び勇者のサポートを行なう。また、相手の集落(街/魔物の巣)を組織的に攻撃し、戦略的優位を築こうとする
  • RPGとは、勝利した勢力のオフェンス担当にフォーカスした戦争物語である、従って魔王=敵勢力の敗北は運命付けられている
    • ここまで魔物と人類の対称性に気を遣って書いてきたが面倒なので、以下では通例に沿って、勝利する陣営を人間、敗北する陣営を魔物と呼称する
  • 魔物側の勇者は道中で倒されている事もあれば、生存している事もある。魔物勇者の撃破は勝利に必須ではない
    • 互いに勇者候補生は多数いるため、倒していてもきりが無いし、ひとりくらい欠けてもどうという事は無い
      • 言うまでも無いが、勇者とは相手の王を倒したものに後から付けられる呼称である。街の人はとりあえず勇者候補生群を「勇者様」と呼んで媚を売る傾向にあるが、彼らの便利さを考えたらおだてて利用したくもなるだろう。戦闘力高いから怒らせたくないし。
    • 魔物勇者のうち有力なものが魔王の討伐後まで生き残っていた場合、所謂隠しボスとして残党狩りの対象となる事がある。ラダトーム王より勇者が強いのと同様、魔物勇者たる隠しボスは魔王より強い
    • あるいは、魔物勇者が魔物内で出世していき、続編の魔王となる事もあるだろう
    • 中ボスとして道中で撃破されていることもあるだろう。DQ4エスタークなどは、魔物側の有力な勇者候補だったのではないだろうか

補遺

人間の目から見ると、魔物は生物学的に言ってひとつの種族には見えない。だが、それを言うならば、人類だって魔物の方から見れば同じ種族には見えていないのではないだろうか。
魔物が人間と同じ生物学を採用しているとは思えない。たとえば仮に魔物が魔力中心の科学観世界観を構築しているとしたら、僧侶と魔法使いは明らかに"異種族"と判定されるだろう。いわんや異なる神を信仰する人々をや。
だいたい、互いに意思疎通が出来ないアフリカ人と中国人と、普通に会話が成立するドラキーとスライム、どっちの方が種として「近い」かなんてのは、そう明白な問題じゃないだろう。「種」の定義方法が違うんだから尚更だ。

おまけ

何をもって世界征服完了と見なすのだろうか。通商がままならないレベルまで人類側が劣勢ならば、それは魔物が世界を征服している、という事になりそうな気がするのだが。
それと、この種族間戦争には必勝法が存在する。王制・帝政から民主制にいち早く移行し、自勢力のトップの死亡でゲームエンドとならないようにすればよい。王制や帝政を取っているから、トップが死んだだけで勢力全体の機能が麻痺してしまうのだ。魔大統領を倒すたびに魔物総選挙が開催され新魔大統領が生まれるとすれば、勇者といえど打つ手が無い。というわけでラダトーム王は人類全体のため、とっとと王位を退くべきだ。

関連リンク

不倒城: 魔王のマネジネント能力について。
http://mubou.seesaa.net/article/48256611.html
ネコプロトコル - なぜ魔王は世界征服に失敗するのか、あるいは魔王のタイムスケールもんだい。
http://d.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20070702/1183378445
ゲームの為なら女房も泣かす - 魔王が世界征服できないとかなんとか
http://d.hatena.ne.jp/annnnnnna/20070720/1184921330
orangestarの日記 - なぜ魔王は世界を征服できないのか
http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20070720/1184930755

014:『戦闘妖精・雪風(改)』

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

戦闘妖精・雪風(改) (ハヤカワ文庫JA)

謎の異星人ジャムの戦闘機と、地球軍の最新鋭偵察機雪風」の戦いを描く。
主人公は、仲間が窮地に陥ったとしても自機の生還を最優先にせよ、という偵察任務を専門にする課に所属する。仲間よりも戦闘機に強い信頼を置き、仲間を信用しようとしない個人主義者の主人公。
彼が何より信頼する愛機、最新鋭の性能を誇る最強の偵察機雪風。そのAIが成長していくにつれ、主人公は雪風が自分を置き去りにし、自己の意思で宇宙人と戦っているような錯覚に陥る。地球人v.s.宇宙人という構図は、地球人、戦闘機や戦略コンピュータに搭載された人工知能、宇宙人という3者の構図になり、そしてやがて地球人は蚊帳の外に置かれていくのではないか…
下手な解説を挟みたくないなぁ。名作。